笹かまぼこの「ささ圭」より

笹かまぼこの製造・販売のおかみ圭子の雑感

2011.04.26.Tue

引越し準備に追われています!

あの日、圭子が持ち出したものは、普段使いのバッグひとつのみ・・・この中にお財布と免許証、お化粧ポーチがはいっていました。社長にいたっては免許証さえも持ち出せず、(・・・これには後々とても困りました。保険証より免許証が一番!!)やはり普段使いのバッグひとつのみ。

九十歳の会長は、なんと・・・スリッパをはいてました。(オホン、会長の名誉のために申せば、下駄箱が倒れてにわかに靴をとりだせなかったから)義母も同じような感じで、結局私たち四人共、通帳や印鑑、貴重品など一切持たず、まさに着の身着のままの状態で、大津波から逃げたのでした。

「また帰れる・・・」と四人共思っていました。たぶん閖上(ゆりあげ)の避難者全員が、そう思っていたのではないでしょうか。帰るところが無くなるなんて、誰が想像できたでしょうか。


こんな私たちでしたが、いざ引越し・・・となると、一ヶ月半のうちに、なんだか・・・とっても・・・荷物が増えて・・・。実は、全て支援物資の数々で、多くの方々の温かいご支援の結晶なんです。


圭子たちのことを考えながら、ひとつひとつ詰めて下さったであろうお気持ちに、有り難くて、また涙、涙。逆の場合、圭子もそのようにしてあげれたか・・と思うのです。少しづつ大切に使わせて・・・食べさせていただいております。有難うございます!!


将来、息子のお嫁さんになる人に、息子の小さかったころの可愛い写真を見せてあげられないのがちょっぴり残念な圭子だったのですが、七五三の写真を友達が預かっていたからと、届けてくれました。泥水に濡れたものの、奇跡的に、大津波に合ったとは思えないくらいきれいに残っていました。良かったぁ・・・。Y子ちゃん、よくぞ長い間預かってくれてたものですわ。


ゆりあげ小学校で、流出したアルバムを展示してあるというので、息子と何度か探しに行きました。昨日ようやく会長夫妻の泥にまみれたアルバムを一冊見つけ、持ち帰ることができました。過去を、少しづつ集めている・・そんな感じです。


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2011.04.19.Tue

ちょっと安心・・・

午後から大雨になってしまいましたね。今日は、四月十九日。名取市高柳から、ささ圭の圭子です。

先日、本社工場跡から探してきた、何百本という笹かまの金属串を、会長、社長、長男の三代が並んで何時間も黙々と磨き続けていました。三人の思いは、それぞれにどんな思いだったのでしょうか。一番複雑なのは、社長にほかなりません。連日多忙と苦心の日々が続いています。

多賀神社、通称「お多賀さん」に守られているかのような立地条件のここ高柳は、とても住み心地いいところなんですが、自宅の方はネットの回線が回復次第、友人の職場になるものですから、五月始めころには引っ越さなくてはならず、その引越し先に我が家ではずっとずっと悩んでおりました。

今名取市は、大津波で家を失ったゆりあげの方々で、アパート・マンションは超満杯状態。そんな折、昨日ある方から、とってもありがたい・・夢のようなお話が舞い込みました・・・。ほっぺをつねっても・・・痛いっ!!

市内の西部、「高館たかだて」というところに、ある会社の社長さまのお宅で、現在空き家になっている家があり、無料でどうぞ使ってくださいと・・・。

「困っている被災者の方々のために何かしたい・・」と、男気のある社長さまが今回申し出てくださいました。見知らずの方のこんなご好意に、甘えさせていただいてもいいのでしょうか!?・・・

ずうずうしく甘えさせていただくことにします。有難うございます。

今回知り合いの方々だけでなく、見知らぬ方々からもご好意や応援をたくさんいただき、感謝と感激の日々です。本当に有難うございます。

2011.04.10.Sun

最後の社員が・・・

先日、変わり果てたK工場長の見送りをし、今朝はもう一人の社員、Sさんを見送りました。いずれもこんな時なので、告別式は行えず、火葬の見送りです。方々に散らばった全社員が集まってくれ、最後の辛いお別れをしました。

そして最後までなかなか発見できなかったTちゃん、ずっと私たちが気がかりにしていた最後の社員が、ようやく今朝発見されました。あれから一ヶ月、傷が少しあったけれど、いつも陽気なTちゃんは少し苦しそうな顔でしたが、きれいでした。一人っ子の小学生の息子さんを残して、その無念さは、いかばかりだったか・・・察するにあまりあるものがあります。

津波で全てのものと一緒に大事な杖をなくした義母のために、杖を求めに行きました。
名取市内で杖の専門店を開いていらっしゃるお店があると聞き、訪ねたのが「歩歩」さん。日曜日でお休みのところ、被災者の私たちのために、わざわざお店を開けてくださいました。その上、救援物資として別に一本いただき、義母も大喜び。有難いことです。

と、そこへお店のご主人が・・・。庭に昨日から咲いた「かたくりの花」を見てみませんか・・とのこと。暖かい日差しに薄紫の可憐な「かたくりの花」が、けなげに咲いていました。

「かわいい・・・」こんな気持ちになったのは、あの日以来。お花を愛でる気持ちが自分にまだ残っていたことに圭子自身小さな驚きでした。

あの日からもう一ヶ月・・・まだ一ヶ月・・・。まだまだ混乱と悲しみの中から抜け出すことはできませんが、少しづつ心癒されるものに出会いつつあります。
2011.04.08.Fri

ご心配いただき有難うございます!!

閖上から・・・ではなく、名取から、「ささ圭」の圭子です。
先日、大津波以来初めての発信をさせていただきました。

思いがけず反響がとても大きく、たくさんのお励ましのお手紙やメール、お電話をいただき、心より感謝しております。有難うございます!!

ゆりあげの潮騒の音と香りにつつまれた生活から、一変して、朝四時すぎには「コケコッコー!!」、のどかな鶏の声に起こされるという暮らしになりました。

ここは圭子の友人のご自宅と事務所のある名取市高柳というところ。ゆりあげから車で十分ほど西にいった田園地帯なんです。被災者の私たちを<あたたかく迎え接してくださるご近所の方々に心が少しなごみます。

このたびのことで、私たち以上に心を痛めているであろう90歳の会長夫妻が、早朝仲良く寄り添って田んぼの中を静かに散歩するのを見ておりますと、嫁としてほっとするものがあり、涙がこぼれます。もっとおだやかな余生を、送らせてあげたかったなぁ・・・・。

先般産経新聞で社長のことを取り上げてくださったことがいろいろと波紋を呼び、連日忙しい中、多くの取材をうけている社長なのですが、今週日曜日(10日)午前中、サンデージャポンにでるようです。見てくださいね!!


午前中、社長と三代目・・・になるはずだった長男と一緒に、本社工場跡に行ってきました。横倒しになった正門脇のコンクリートについている「株式会社 ささ圭」の社名板をなんとかしてはずし持ち帰りました。この社名板をいつ掲げる日がくるのか、まだまだ乗り越えなくてはならない課題が山積です。でもいつの日かきっと、・・・その思いを強くした三人です。

あたたかいご支援をいただいております全国の皆様に、心より感謝申し上げます。

2011.04.03.Sun

大津波

何からお話したらいいのでしょうか。圭子です。
ようやく今日友人からパソコンを借りて、ブログを開いています。

あの悪夢のような大津波から、はや三週間あまり。今でも夢をみているような感覚におそわれます。

まずもって、いろいろとご心配していただいている皆様方に、ご報告しなくてはならないこと、
それは、ささ圭本社工場・本店工場・珍味工場三つの全ての工場と、閖上本店、そして私たちの自宅と会長夫妻の
自宅全てがあの日の大津波に一瞬のうちに呑み込まれ、全て流失してしまいました。パソコンもことごとくだめになりましたので、今まで発信することができませんでした。今日から友人の事務所を借りて仮事務所にして、ようやくパソコンに向かっています。

奇跡的に、社長と圭子、会長夫妻、長男の家族五名はそれぞれ別に居ながら身体だけは無事でした。
ただ、三名の大切な大切な社員を失いました。

いつも笑顔でみんなのことを考えてくれた頼りがいのあるK工場長。社長と圭子の一番の相談相手でした。勤務年数は短かったのですが、とても器用で新人さんの面倒をよくみてくれていたSさん。そして、ホワイトデイかまぼこをその日の午前中造っていたTちゃん、いつも「女工場長になりたい!」と、がんばっていました。このつぎは「母の日かまぼこ」の企画をしょうねと話していたところでした。

これを打っている間も、悔しくて、もって行きようのない怒りと悲しみに涙があふれ文字がかすみます。

この大津波で、社員を含め、あまりにも多くの友達、知人、ご近所の皆さん、お得意様を失いました。

でも泣いてばかりいられません。私たちが生き残ったのは、きっとまだ何かやり残したことがあるからなのだと思います。いつかきっとまた美味しい笹かまを造って、皆様にお届けしたい!!社長も圭子もそんな思いでいっぱいです。

いつ・・・・、まだまだ長い道のりです。でもどうか「ささ圭」を忘れないでください。

ご心配いただいた全ての皆様がたに、心から感謝を申し上げます。

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