笹かまぼこの「ささ圭」より

笹かまぼこの製造・販売のおかみ圭子の雑感

2015年03月

2015.03.21.Sat

卒業式

おばんでございます~
みちのく名取も、ようやく陽春の光がまぶしい頃となりました。
皆様、いかがおすごしでしょうか。

もう南のほうからチラホラと、「桜だより」もきかれるようになりましたものね。桜を待つ何とも言えないわくわく感は、桜好きな日本人ならではのものでしょうか。
桜は美しいだけではなく散り際がまことに潔く、日本人の感性と合うためか、西行ならずとも古来より好まれてきたようです。

私共の工場の「祇園のしだれ桜」、もしかしたら今年一輪くらい咲くのでは?・・・と、先日庭師の方に嬉しいことを言われました。でもまだほんの150センチくらいの高さしかありませんし、先月植え替えたばかりのほやほや。まだまだ名取に根を張るのには時間がかかりそうです。
社員たちも、「いつの日か、この下でお花見をやりたいですね~!!」と、楽しみにしてくれています。

さて今月は卒業式や受験のシーズン。
先日、市内の某小学校の卒業式に行ってまいりました。小学校の6年間という月日は一番変化が大きいということを感じさせてくれます。

6年前はあんなに幼かった子どもたちが、6年という月日を経て、本当に立派に好ましく成長しておられました。目は輝いて、しっかりと足を大地につけ、その誇らしげな堂々とした態度、全てに気持ちの良い卒業式でした。

少し前までは、入学予定の中学校の制服で出席する子どもたちが多かったように思われますが、時代の流れでしょうか、男子はスーツかブレザーが殆ど。そして女子は、AKB48を思わせるような?チェックのスカートにブレザーがこれも大方。
市内では、着物に袴姿の女の子がかなり多い学校もあるようです。

卒業式、時代を反映している面もありますが、いつの時代でも変わらないのは子どもたちにとっては生まれて初めての大きな厳粛なセレモニーということ。地域の方々、先生方、家族に見守られて、子どもたちは溌溂と巣立って行きます。

校長先生が、式辞の中で声を詰まらせながら、
「3.11では県内の多くの子どもたちが犠牲になりました。どうか皆さんは生きたくても生きられなかったその子達の分まで頑張って生きてもらいたいと思います」とお話されたのが、とても印象的でございました。







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2015.03.12.Thu

3.11という日

昨日3月11日は、4年前のあの日を思わせるような冷たい雪と風の一日となりました。
午後2時46分、全国のいたるところで黙祷が捧げられ、亡き御霊の安らかなること願う方々が大勢いらしたようです。
私共の工場でも一時作業をストップして、社長以下全員で黙祷をいたしました。

その頃圭子は、名取文化会館で開催された名取市主催の慰霊祭に出席させていただいておりました。
天皇皇后両陛下ご列席のもと催された政府の慰霊祭と、 被災地各地の慰霊祭が結ばれており、この会場でも途中まで壇上の画像とともに式典が厳かに進んでいきました。

最後に、3月11日当日、閖上中学校を卒業したHさんという専門学校1年生の青年が、追悼文を読み上げられました。
その日にお母さんと妹を亡くされたHさんは、県外に住む母方のお祖母さまに今まで育てていただいたとのこと。あの日の中学生が、こんな立派な青年に。これからも二人のためにも頑張って生きること、お世話になった方々に恩返しをしたいことなどなどをお話され、多くの方々が涙、涙・・・。頑張ってね!と、圭子も心の中でエールを送りました。
4年という年月、苦しい思いの中でここまで身も心も成長されたことに、涙が止まりませんでした。

昔聞いた言葉に、『幸せの形は一様だけれど、不幸の形は様々である』というような意味の言葉があります。
東日本大震災という未曾有の大災害は一つでしたが、それぞれの家庭に様々な形で影を落としました。その影は家庭により、人により、一人として同じ形はありません。そしてそれを受けて後の生き方も、また人それぞれ。

亡くなった方々に思いを馳せ、亡くなった方々に恥じないように、生き残った私たちは精一杯生きていくことを再度自分自身に確認する日、それが圭子にとっての3.11でもあります。











2015.03.10.Tue

3.11を前に

おばんでございます~みちのく名取、大荒れのお天気でございます。
昨夜、徳島から帰ってまいりました。今回は圭子にとって1年ぶりのふるさと、母の3回忌のために帰っておりました。

母が逝ってから早いもので、はや2年。
実家のそちこちに、まだ母の香りや居た気配が残っているような不思議な感覚を覚えました。母のことを皆でいっぱいしゃべり、泣いたり笑ったり・・・・。まだ皆の心の中にしっかりと生きています。

そして明日は3月11日。あの日から4年という月日が流れました。
「あの1日で、皆の人生の設計が大きく狂ってしまったよね・・・」と、ときどき閖上の方々と話します。被災した人々は、あの日から、もう震災前には決して戻れないことを厳粛に受け入れるしかありませんでした。受け入れて、少しづつ心の軌道修正をしてきたように思います。

苦しい時、圭子は思い出します。
震災後、もう二度と焼けることはないのでは・・・・と思った笹かまぼこ。それが全国のたくさんの方々に支えられ、手わざ笹かまぼこを初めて焼いたあの日7月1日のこと。手わざ笹かまぼこを焼いて、涙をボロボロこぼしながら冷蔵ケースに並べている自分がいたこと。笹かまぼこを焼ける、製造できることの有り難さを圭子は一生忘れることはないでしょう。

今のささ圭が、多くの方々に見守られ、支えていただき、あるということを、新しい社員たちにも折に触れ伝えていきたいと思います。

明日は始業前に全員で黙祷を捧げ、社長からお話をいたします。
午後から名取市主催の慰霊祭に出席する予定です。

2015.03.02.Mon

テレビ取材が続きました!!

強風の中、午前中には仙台放送の梅島アナウンサーが。そして午後には、またあのサンジャポの「大蔵さん」がご来社くださいました~。

3.11を目前にひかえて、多くのメディアでは再び「3.11のその後」を取材しているようです。

仙台放送の夕方の報道番組「 FNN仙台放送スーパーニュース」では梅島アナウンサーさんが、また日曜日の人気番組「サンテージャポン」さんでは、かの杉村大蔵前議員さんが、それぞれ震災直後から、折に触れ私どもささ圭をずっと追い続けてくださっております。

震災から4年という日を迎えるにあたり、現在の私共の置かれた状況や復興の現状を社長からお話させていただきました。今回の取材のもう一つの話題は、昨年春大学卒業とともにささ圭に入社し、社員とともに修行をしている三代目。

親子3代のかまぼこ屋 ささ圭として、復興に向けて歩み続けているところを取り上げてくださっています。
杉村大蔵さん2015
3月8日にはサンジャポ、そして仙台放送は12日頃放映の予定でございます。

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