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河北新報インターンシップの学生さんたちを閖上に・・・

2015.02.24(17:15) 810

おばんでございます~
みちのく名取、日中はまるで春を予感させるようなほんのり暖かい一日となりました。
春よ来い   早く来い・・・・」と歌った子どもの頃が懐かしく思い出されます。

3月3日のお雛祭りももう間近。
3姉妹で育ちましたゆえ、5月5日の鯉のぼりには全く縁のない子ども時代の圭子でございましたが、お雛祭りには力が入ったものでした。

徳島では旧暦の3月3日が近づくと、父がお雛様を飾る陣頭指揮に立ち、まず床の間に机やら台座のようなもので段を作ります。それに真っ赤な毛氈を敷きますと、ちゃんとお雛様の台に。

3人姉妹は父の指導のもと、まず大きな箱から寝殿を出し、組み立てていきます。この寝殿、圭子もこちらに嫁いで一度も見かけたことがないのですけれど、昭和20~30年代の徳島のお雛様って、みんな寝殿がついておりましたよね!?(徳島の方??)圭子は全国的にそういうものだと思って育ったのですけれど、四国や関西に限られるものなのでしょうか。
この寝殿のことを名取閖上出身の夫にいくら説明しても、見たことがないのでちょっと想像できないようで・・・。

この寝殿を組み立てるのにいつも大苦戦。長年の間に、ない部分もでて、尚更組み立てるのに苦労していたような気がいたします。

これを建て終わると、いざお雛様の出番です。お内裏様、お姫様、三人官女、そして五人囃子と続きますが、この五人囃子、これは能楽のお囃子そのものだったのですね。小鼓、大鼓、笛、太鼓、そして謡を謡う人、合わせて5人囃しになっていることを実は圭子最近になって気づきました。あはっ、お恥ずかしや~

その頃は、お雛祭りにはお雛様の前でお祝いをする・・・ということはあまりなく、もっぱら子どもたち(女の子オンリー)は、お母さん手造りの「遊山弁当」を持ち、近くの小さな山に登るのが常でした。(めちゃ田舎やね~って!?)この「遊山弁当箱」というのも、徳島県独特のものであったということをずっと後になって知りました。海苔巻き寿司、稲荷寿司、寒天、色とりどりのういろう・・・・等々、それぞれのお母さんの腕の見せ所。圭子は中でも亡き母の作ってくれたゆで卵をうさぎに見立てたものが大のお気に入りでした。

さて明日は、河北新報のインターンシップの大学生の皆さん19名を閖上にご案内いたします。もう何回目になるでしょうか。毎回20人~30人の全国から集まった大学生の皆さんが「東日本大震災」について学び、記事にいたします。

そして、あの日3.11も、またまもなくやってまいります。

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笹かまぼこの「ささ圭」より


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